日常の中に幸せの種はある


by morimori42185
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出会いは宝もの

わたしが今まで出会った人は「宝物」・・・・。小さいころから家が商売をしていたので皆が忙しくしていた・・・。すぐ年子で妹が生まれ、わたしは母に聞くとレコードから流れる童謡を聞きながら音程もしっかり歌っていたようだ・・・・。母は小学校の先生を結婚前にしていたのでわりと教育に対して私達に熱心なほうだったのかもしれない・・・。しかし、私は言葉で表現するよりクレパスで紙に絵を描いていることがすきな少女だった。思い出しても母は私達が描いた絵を襖に貼って喜んでくれたことを思い出す・・・・。絵を描いている時間はひとり空想の世界で自由な気持ちをあじわえた。こころのなかに思いがいっぱい詰まっていても、わたしはうまく表現できなかった。本を読むのも母は私達に童話や子供用の良い本を小さいときから与えてくれた。割とおおきくなるまでそのままの自分自身を外ではあらわさずに・・・・「内弁慶」の典型だったとおもう。妹の下に2人弟たちが生まれた。家族のほかにそのころは働いている人達が同じ家のなかにいつも5~6人いて共同生活で母は10人分以上の食事をいつも作っていたように思う。親の背中をみて育った・・・。私達兄弟はそれぞれどう思っているか改めて話したことはないが、自分なりにそれぞれの道をみつけて今がある。ほっといてくれたのでよかったことが今思うとたくさんある。母なりに忙しくてもこどもたちの教育に理想があった。私は小学6年の時母とふたりで東京に受験にいっている。母の愛読書が「婦人の友」でその寄宿舎のある自由学園に母は入れたかったようだ。・・・・みごとに落ちて・・・今度は、名古屋で私立の学校の受験をすることになった。今度は合格して中・高・短大まである淑徳学園に入れてもらった。この学校はスポーツに熱心な学校で(その時代は・・・)なにかの部活動に入るように勧められた。特に体育会系。全校挙げてのマラソン大会、水泳大会。得意でない私は困って「卓球部」に入部した。中・高と止めないで続けられたのが奇跡かもしれない・・・。高校で進路を考えた時、美術の大学に行きたいと思った。美術部でもなく卓球部のわたしはデッサンというものをしたことがない!高校2年のときから遅まきながらデッサンと美大受験の為に河合塾の美術研究所に下校後に同じ高校の友人と通うことにした。愛知県芸の生徒の方が講師。 希望の科ごとに分かれてデッサンに毎日通った。現役と浪人生と同じクラスで勉強したので世界が広がった・・・・。そのとき児童書の絵本作家の「原ゆたか」さんとデザイン専攻クラスでいっしょになった。みんな「夢」にむかっていた。
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by morimori42185 | 2011-05-18 04:37 | ともだち